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​若手医局員へのインタビュー

氏名:佐野顕史

卒業大学:山形大学

卒年:2018年

研修病院:山形大学医学部附属病院

趣味・特技:バスケットボール

①ご経歴を教えてください。

 栃木県小山市に生まれ、2012年に栃木県立宇都宮高校を卒業し、山形大学医学部に入学しました。在学中はほとんどバスケットボールをして過ごし、医学の勉強は疎かでした。2018年になんとか医師免許を取得し、山形大学医学部附属病院卒後臨床研修センターに所属しました。脳神経外科を中心に研修し、園田教授をはじめ医局の先輩方から脳神経外科の基本からみっちり仕込んでいただきました。2020年からは正式な医局員となり今に至ります。
 山大脳外との出会いは大学3年生の研修室研修でした。当時の嘉山前教授と小久保先生に指導していただきました。研究の合間に回診や手術など臨床現場を見学する機会があり、人生で初めて見学した手術はその時の頚動脈内膜剥離術でした。手術のポイントや面白さを教えてもらい、かつてないほど刺激的な経験でした。それ以降脳神経外科を意識するようになりました。5年生の臨床実習で園田教授の率いる医局の雰囲気に憧れて、5年生の冬に入局することを決断しました。少し早かったかも知れませんが、早くから様々な経験ができているのでよい選択であったと思います。

②山形のいいところはどこですか?

 とにかく食事がおいしいところだと思います。高級店はもちろんですが、近所の定食屋やそこらじゅうにあるラーメン屋が隠れた名店だったりします。山形に来て2年目ですが、いまだに新しいご飯屋さんを見つけては感動している毎日です。大学卒業後に地元に帰ることもできましたが、山形に胃袋を掴まれてしまいました。

③脳神経外科を選んだ理由

 診療科にはこだわらずに進路を考えていました。学生時代は不勉強だったのでわからなかったのですが、働いてみて脳神経外科に真剣に向き合ってみると、学問的な面白さを感じました。疾患の幅は広く、知識のみならず手技においても覚えることは無数にあります。さらに、日々の勉強が患者さんの具合につながるので、やりがいをもって勉強に取り組んでおります。

④山形大学医学部脳神経外の医局を選んだ理由

 大学時代はバスケットボールに時間を費やし、勉強は最低限しかしてこなかった自分にとって、学問的な興味で診療科や入局先を決断することは不可能だと考えていました。そのため、進路に関しては人間関係や指導体制を重視して検討しました。山大脳外科の医局は直感的に肌に合っていると感じたところもありますが、園田教授が作る医局の雰囲気や代々受け継がれている指導体制を見て決めました。メンバーが同じであれば脳神経外科でなかったとしても、この医局を選んでいたと思います。

​⑤山形大学医学部脳神経外の自慢は何ですか?

 豊富な症例だと思います。大学病院には県内からさまざまな希少疾患が集まりますし、市中病院にでると血管障害を中心とした多数の症例に出会うことができます。症例一つ一つに学びやドラマがあり、決して退屈することはありません。なお、専門医取得に必要な症例数は年程度で集まりました。

 

​⑥研修体験

 1年目の初日はいきなり5年目の先輩と2人で緊急の気管切開を行いました。リスクマネジメントの点で指導されてはいましたが、患者さんの具合を最優先に考えて迅速に行動していた先輩の姿に度肝を抜かれました。その後も救急対応や開頭の場面で先輩の”脳外科力”のようなものに圧倒されつづけました。今年自分は6年目になってそんな洗練された脳外科医にはなれておらず、まだまだ精進が必要です。

⑦将来の抱負

 学会をリードしていくような研究を行うことです。そのために今は基礎を磨き、課題を見つけ、研究に必要な種をまく時期だと考えています。いい研究を行うには多くの仲間が必要であり、今後さらに医局員が増えることを願っています。

⑧どんな仲間に来てほしいですか

 脳神経外科は緊急での手術が多くあり、時に多忙を極め自分の時間が取れないことがあります。一方で年間を通してみると閑散期もあり、自分の研究や家族との時間をとることもできています。そんなメリハリ、緩急のある生活を楽しめる人にはもってこいの診療科です。

⑨入局希望者に向けてのメッセージ

 医局員がみなそれぞれ違った雰囲気や得意分野を持っています。脳神経外科は分野が広くそれぞれ特徴も異なるので、必ず自分にあった役割があるはずです。

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